アイホージュの庭

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ありのまま認める×EFTセッション事例 ~離婚を回避したい その3~

前回
Rさんは必然的に、愛されていると感じる事が不足します。

Rさんは配偶者の一挙一動を通じて、配偶者から、
・お前(Rさん)のことをもう愛していない。
・お前と一緒に過ごしても楽しくない。
・お前とは仕方なく一緒にいる。
・お前のことが嫌いだ。
と言われていると感じるようになっていたのです。

と書きましたが、これは、どういうことなのか説明します。

Rさんの実例ですが、配偶者が仕事を終え、夜遅くに帰宅し、ずっとスマートフォンを触っていました。

Rさんは、その配偶者の姿を見て
「私が目の前にいるというにずっとスマホするなんて、私と一緒に過ごすのが嫌なんだ!
私と話したくないんだ。もう私の事、愛していないんだ。」
と感じていました。

この状態を改善しようとして、Rさんが配偶者にかけた言葉は、
「何でスマホばかり見るの?」

「何で?」と言われても、配偶者は「何で?」と言われている意味がわかりません。

残念ながら改善の試みは、Rさんにとって、
「自分が二人の関係を改善したいと思って頑張っても、配偶者がわかってくれない」
と感じる結果に至る事がほとんどです。

Rさんが感じる「配偶者がわかってくれない」に込められた意味は、以下の通りです。

「配偶者が私の事を本当に愛しているなら、大事に思うなら、
私が何も言わなくても、私が関係を改善したいと思っている事を全て察してくれて、
協力してくれるはず(私の思い通りに動いてくれるはず)なのに、
何でスマホばかり見ているの?
スマホばかり見ていると言う事は、私の事、もう愛していないんだ!」
です。

配偶者が、Rさんをもう愛していないと感じる関係を立て直す為に
Rさんが配偶者に「何でスマホばかりみているの?」と働きかけた結果
配偶者は私の事をもう愛していないと感じるのであれば、この対応は不毛で、やり損です。

労力・時間のムダです。

じゃあ、どうしましょうか。

この状態を立て直す為には、まず、Rさんが「事実」と「自分の思考(や感情等)」の区別を
自らつけられるようにする必要があります。

「大人のありのまま」では、
・配偶者がスマホを見ている
・私は、愛されている(愛されていない)
は、全く別ものなので、一緒くたにしません。

ですが、「認めないオトナ」の状態では、
・配偶者がスマホを見ている→私は愛されない
・配偶者がスマホを見ずに、私と一緒に過ごしている→私は愛される
になっています。

この区別が出来なければ、この先、必要な対応が出来ません。

実はこれ、口頭説明したところで、理解しづらいので、ありのまま認める×EFTを使って、
Rさんが自ら区別出来るように落とし込んでいきます。

配偶者がRさんに対して「気持ちが全くない」と思っている事を、知人にメールで送っていたのは、事実です。

でも、Rさんの目の前でスマートフォンをしている姿を通じて、配偶者が、本当に
・Rと一緒に過ごすのが嫌だ
・話したくない
・愛していない
のだから、R、俺の思いを何も言わなくても雰囲気でわかれよ!と訴えているかどうかは、
配偶者にしかわからない事です。

こういう状態にある場合、Rさんが気になるのは
「配偶者は、本当の所、私の事をどう思っているのだろう」です。

配偶者に聞いたとしても、正直に答えるとは限りません。

仮に、配偶者から「Rと話したくないなんて、思っていないよ。Rの事、愛しているよ」と言われたとしたら、どうでしょう。

Rさんは「嘘つき!知人に、私に気持ちが全くないって送っていた癖に。」と思うかもしれません。

では、配偶者から「うん、愛していないし、話したくない」と言われたら、どうでしょう。

Rさんは、「本心でそう思っていても、傷つくから、言うなよ」と思うかもしれません。

そう思うのであれば、最初から聞きたくない事を配偶者に聞くなって話です。

という事で「配偶者が自分をどう思っているのか」を聞いた所で、
Rさんが安心する事も、満たされる事も、納得する事もありません。

ムダに時間と労力を費やした結果、疲弊したり、傷ついたり・・・これも、不毛な対応です。

もし、Rさんが、配偶者の動きによって、満たされようとするならば、前回述べた通り、
配偶者がRさんと接している間中、常にRさんの思い通りに動く必要があります。

ただ、これは、実現不可能ですし、
Rさんの人生が満たされるかどうかは、いつでも配偶者の動き次第になります。

Rさんに必要なのは
「Rさんと接している間中、配偶者がRさんの思い通りに動いて、Rさんを満たしてくれる事」ではありません。

自分が何をどう思い、何をしたいのか、何をする必要があるのか「自分」に、意識を向ける必要があります。

その為に、自分で自分をありのまま認め満たすのです。

さて。
自分で自分をありのまま認め満たすにあたり、Rさんが、
「私が目の前にいるというに、配偶者がスマホ見ているなんて、私と一緒に過ごすのが嫌なんだ!
私と話したくないんだ。もう私の事、愛していないんだ。」と思う理由を探ります。

人は、理由のない行動はしません。

理由は色々あると思うのですが、結構多いのは、
「仲の良い夫婦は、仕事から帰ってきたら、今日あった事や、色々な事を互いに話し合う」
といった、雑誌、テレビ、ネット等の情報から来る、無意識の思い込みがあって
・色々な事を話し合えないから、私たちは、うまくいかない
・色々な事を話し合えたら、私たちはうまくいく
と捉えているケース。

じゃあ、本当にいろいろな事を話し合いさえすれば、Rさん夫婦は、うまくいくのでしょうか。

答えは、「NO」です。

「認めないオトナ」の状態にある場合
「内心どう思っていようが、Rさんと配偶者は表面上、同じ意見になる」事が、
互いを認め満たしあう条件となります。

互いに同じ意見であれば「配偶者が自分の思い通りに動いた=わかってもらえている、愛されている」に繋がる為、
安心できるのです。

なので、話し合いにおいて、Rさんと配偶者との間に意見の違いが生じた場合、
Rさんは、配偶者に自分を認めてもらえない、否定された、愛されていない、大事にされていないと言った事を感じます。

Rさんには
・配偶者は、私の思いを察して、私の思い通りに動くのが当然だと訴える
・何で、私の思い通りに動いてくれないの?と不満を訴える
・私の方が正しいと訴える
・私を認めてと訴える
・もしくは、自分の意見を抑えて、配偶者に表面上従う
といった動きが出ます。

仮に配偶者も「認めないオトナ」であるならば、Rさんと同じ状態で、話し合いをする事になります。

先程も述べた通り、互いに同じ意見であるならば、問題はありません。

ですが、意見の違いが生じた場合は、話し合いの結果
・言い争いをして、平行線になる
・どちらかが、我慢して、表面上どちらかに従う
のどちらかになります。

Rさんご夫妻の場合、最初の段階では、配偶者が我慢して、Rさんに表面上従う動きが出ていました。

この場合、Rさんは、一時だけ満足します。

ですが、配偶者は、Rさんに表面上従っても、内心は何も納得していません。
その場を凌いだだけです。

その為、Rさんの意見に、配偶者が実際に従うのかというと、従わない事がほとんどです。

そうするとRさんの中で、配偶者は言った事を守らない、信用ならない人間だと感じたり、
自分を大切にしてもらえないと感じて、配偶者を責めます。

配偶者は配偶者で、自分は我慢しているのに、いつもRは自分を責めるといった具合に、
Rさんに自分を否定されたと感じて、家庭に居場所を失います。

結果的に配偶者は、別の誰かや何かに癒しを求め、Rさんを蔑ろにする事に繋がります。

頭では、「私と配偶者は違う存在であり、意見が違うのは当然だ」とわかっていても、
これが実際に出来ているかどうかは、別です。

Rさんは、配偶者と色々話し合いながら、関係を深めていきたかったのです。

なのに「認めないオトナ」の状態に陥っているが故に、関係を深めようとすればするほど

「自分も相手も皆、互いの認め満たしあいが必要であるが故に、
表面上、一つにまとまろうとして、それが出来ない相手を批判し、
自分や周りと同じにさせようとする」といった、苛めと同じ動きが生じるのです。

「私と配偶者が常に同じであるかどうか」に意識を向けるのであれば、双方とも、視野も思考も広がりません。
互いが違う事により、自分や相手を否定する事になるので、関係に緊張や苦痛が伴います。

「大人のありのまま」で言う、話し合いとは、
・自分の意見の存在をありのまま認めた上で、
・相手の意見の存在をありのまま認め、
・必要があれば、互いの合意点を見出し
・互いの納得の上で、合意点を実行する
事を指します。

仮に、合意点が見つからなければ、合意しない事に互いが合意した となります。

互いの違いを認め、尊重する事で、自分や相手の視野も、思考も広がります。
違う意見を持つ者同士、力を発揮し合ったり、助け合ったりと、人との交わりは楽しいものとなり、人生も豊かになるのです。